無限の可能性を秘めた腸内フローラ。 未踏の世界を探求し、人類を進化させる!

アサヒグループホールディングス株式会社
コアテクノロジー研究所 フローラ技術部
市島 睦生
- 大学院では生命科学系を専攻し「枯草菌」に関する基礎研究に取り組んでいた市島は、入社直後に配属された研究グループで、まったく新しい研究分野に出会う。それが「腸内フローラ(腸内細菌叢)」だった。腸内細菌をDNAレベルで解析し、それらの細菌がどのような働きをしているかを調べ、活用する方法をみつけることで、病気の発症を未然に防ぐことが可能になるかもしれない。「自分の研究成果を、人々の健康を支える商品として多くのお客様に届けたい」。市島が研究者として抱いてきた夢が、実現に向かって動き出した。
新人研究者市島が経験した衝撃的な初仕事

「こんなはずじゃなかった……」
2014年5月、神奈川県相模原市にあるカルピス株式会社発酵応用研究所(現アサヒグループホールディングス株式会社コアテクノロジー研究所)で、新人研究者の市島睦生は、ひとり途方に暮れていた。「腸内フローラ研究グループ」に配属された市島が、新人研修を終えて初めて与えられたのが「ニワトリの糞の重量を測定する」という仕事だったからだ。
今でこそ、腸内フローラ研究における「モデル生物」としてニワトリを用いることが一般的になったが、当時はまだ、腸内フローラ研究が現在ほど盛んではなかったため、その「初仕事」に市島が戸惑いを覚えたのも無理はない。
市島は学生時代、健康に役立つ可能性の高い菌として注目されている「枯草菌」に関する基礎研究に取り組んでいた。「枯草菌」は、枯れ草や土などに住む微生物であり、代表的なもので言えば「納豆菌」もこの「枯草菌」の中に含まれる。就職活動時、当時のカルピス社(現アサヒカルピスウェルネス社)で「枯草菌」を配合したサプリメントを発売していることを知った市島は、「ぜひ自分の研究経験を商品づくりに活かしたい」とアピールした。
「そんな経緯もあったので、当然、入社後は枯草菌の研究に携わることができるものだと勝手に思い込んでいました。よし、今日からは企業研究者として最先端の研究に取り組むんだ!そう意気込んで出勤しただけに、ニワトリの糞を目の前にした時には、正直言ってショックでしたね」。市島は、当時を振り返って苦笑する。
謎に満ちた腸内フローラの世界

最近、テレビなどでよく耳にするようになった「腸内フローラ」とは、いったいどんなものなのだろうか。市島に説明してもらった。
「人間の腸内には、ビフィズス菌や乳酸菌など1000種類以上の菌が100兆個以上も存在しており、その腸内細菌の集合体を“腸内フローラ”と呼んでいます。近年、この腸内細菌たちのバランスによって、私たちの健康状態が大きく左右されることが、科学的にも解明されつつあります。そこには、いわゆる善玉菌vs悪玉菌といった対立だけでは説明がつかないほど複雑な世界が広がっているんです」
腸内細菌が、それぞれどのような働きをするのかが明らかになれば、腸内フローラをコントロールすることで病気を治すことができるようになるかもしれない。将来的には「病気にならない体」を腸内からつくることも夢ではない。腸内フローラの働きの解明によって、人間の健康寿命はさらに延びていく可能性を秘めているのだ。
「私たちのミッションは、『腸内フローラの中で有用な腸内細菌を見つけ出し、その効果を高める素材を探索すること』です。その先に、多くの人々が健康で生き生きと暮らす未来が待っていると思うと、入社当初、抵抗のあった糞を扱う仕事も、今では誇りを持って取り組めますね」
仮説が見事に実証された時のわくわく感がモチベーションに
では、実際の研究活動は、どのように行われるのだろうか。
「もっとも大事なことは、“お客さまが求める機能をもつ腸内細菌を見つける”ことです。例えば、お客さまが“肥満を抑制する”という機能を求める場合、まず『肥満体の人が少ない』集団を見つけ出し、その集団に属する人たちから検体となる便を集めます」
研究サイクルの初期には、車にクーラーボックスを積んで提供者の家を一軒一軒周り、検体、すなわち便を回収する日々が続くという。
「研究室に戻ると、回収した便から腸内細菌の遺伝子の塩基配列を高速で読み出す装置『次世代シーケンサー』を使って、どんな種類の腸内細菌がどんな割合で存在しているかを網羅的に解析していきます。多い時には約100人もの便を集め、一人ひとりの腸内フローラを丹念に調べていくと、次第に、その集団を特徴づける“キーとなる細菌”の存在が明らかになってきます」
市島らの研究では、「ある特徴を持つ人の集団」と「一般的な人の集団」のデータを比較して、“キーとなる可能性のある細菌”をすべてリストアップし、それらの菌について国内外の論文を探索して、これまでにどんな特性が報告されているかを一つひとつ調べていく……。こうしたプロセスを経て、キーとなる細菌を特定するまでには数か月を要する。慎重さと根気が求められる作業だ。

キーとなる細菌が特定できたら、その細菌が仮説どおりの働きに関与しているかどうかを明らかにしていく。
「例えば、『Aという細菌は肥満抑制に関連している』という仮説を検証する場合、細菌Aを食べさせたマウスと食べさせないマウスを一定期間飼育し、体重をはじめとする様々な指標の変化を比較します。こうした実験を重ね、検証作業を繰り返すうちに、『自分の仮説通り、細菌Aは肥満抑制に関与しているようだ』と分かってきます」
しかし、関与していることが分かったとしても細菌Aをすぐ商品にすることはできない。なぜなら、見つけ出した細菌Aが、人体を害さずに安全性を担保し続けられる細菌なのか、本当に人に効果をもたらす細菌なのか、を実証しなければならないからだ。
「しっかりとしたエビデンスに基づいて安全性と効果を実証したのち、細菌Aはそのままの形で商品にした方が良いのか、もしくは細菌Aを増やす効果のある新たな素材を見つけ出し、その素材を商品にした方が良いのか、を検討しつつ商品化へと踏み出します」
今では、近い将来に商品化が期待できる細菌も見つかっているという。
自分の研究成果を人々の健康を支える商品に!
2000年代以降、腸内フローラは、次世代シーケンサーの登場によって網羅的に解析できるようになったことで急進的に研究が進み、いま、世界中で国家プロジェクトが始動している。毎日、新たな論文が何本も発表されるほど世界中で注目されている分野なのだという。この分野の研究に、このタイミングで携われたことの幸運を、市島はあらためて感じている。
「腸内フローラ研究は、無限の可能性を秘めた研究領域です。時々刻々、世界のどこかで誰かが新たな発見をしている分野ですから、進歩に取り残されないようにしなければいけないというプレッシャーもあります。しかし、誰も手をつけていない未踏の領域を探索する仕事ですから自分がその一端を担っていると思うとわくわくします」市島は、企業で基礎研究に携わることの意義について、こう語る。
「学生時代の研究は“わかった”時点がゴールです。でも、企業研究では“わかった”がスタート地点。研究によって得た知見を、いかに市場価値のある商品につなげていくかが仕事です。もちろん苦労はありますが、自分の研究成果が商品という形になって、多くの人たちの喜びや幸せにつながることは、企業研究者にとっての醍醐味だと考えています」
市島が就職先にカルピス社(現アサヒ飲料社)を選んだ理由のひとつは、「誰からも愛される商品」を持つ会社に魅力を感じたことだった。
「腸内フローラ研究で“誰からも愛される商品”ができるまでには、時間がかかりますが、自分の研究成果を、人々の健康を支える商品として多くのお客様に届けたいですね」
(2018年1月30日取材)
