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ビール酵母細胞壁が食糧問題や環境問題も解決

現代の国際社会が抱える地球温暖化や食糧問題は、あらゆる個人や企業が関心を持ち、解決に向けて取り組むことが求められる社会課題です。温室効果ガス排出削減や、将来予測される食糧不足の解消に対して、アサヒグループの技術力を生かしたある取り組みが注目を集めています。主力商品であるビールの醸造過程でできる副産物「ビール酵母細胞壁」を使った農業資材の開発です。
この農業資材にスポットを当て、アサヒグループの事業を通じた社会課題解決への貢献について取材しました。(企画・編集/文化工房(株))
※記事は日刊工業新聞社編集委員で、日本環境ジャーナリストの会理事である松木氏による助言のもと編集しています。

松木 喬(まつき たかし)

アドバイザープロフィール

松木 喬(まつき たかし)

日刊工業新聞社編集委員。「日本環境ジャーナリストの会」理事。著書に『エコ・リーディングカンパニー東芝の挑戦』『SDGs経営―“社会課題解決”が企業を成長させる―』がある。専修大学「産業技術論」(中村吉明教授)で講義を行うほか、経済産業省東北経済産業局の環境セミナーで講師を務める。『環境管理 2018年3月号』(産業環境管理協会)の巻頭特集にインタビュー掲載。

将来の食糧不足対策や地球温暖化防止のために、アサヒができることはないか?

2017年に国連が発表した「世界人口予測2017年改定版」によると、世界の人口は2050年には98億人に達すると予測されています。人口増加に伴い、懸念されているのが食糧不足です。2050年までには現在の1.5倍の食糧が必要になるとされ、食糧の増産は世界的課題となっています。

将来の食糧不足の解消に貢献する商品として注目を集めているのが、アサヒグループが開発した、ビール酵母細胞壁を使った農業資材です。

ビール酵母は、文字通りビールの醸造に欠かせない酵母で、麦汁を栄養源としてアルコールや炭酸ガスをつくりだします。ビール酵母は、ビールの中に入ったままだと風味が損なわれるため、商品になる前にすべて取り除かれますが、役目を終えた後もビタミン、ミネラル、アミノ酸など体に良い成分を豊富に含んでいます。そのため、アサヒグループはこれまで、ビール酵母を胃腸・栄養補給薬「エビオス錠」、ビール酵母エキスを調味料として商品化し、エキスを抽出した後に残る殻のような「細胞壁」の一部を家畜用の飼料に利用してきました。

ビール酵母。ビタミン、ミネラル、アミノ酸など体に良い成分を豊富に含む
ビール酵母。ビタミン、ミネラル、アミノ酸など体に良い成分を豊富に含む

その力を植物にも応用できるようにしたのが、新しい農業資材です。ビール酵母細胞壁には、免疫力を高めるβ-グルカンも豊富に含まれているため、農作物に与えると植物が元々持っている免疫力が高まり、収量を増やすことができるのです。

また、食糧不足の懸念に拍車をかけているのが、CO2排出量増加による地球温暖化です。気温上昇による異常気象の増加は、農作物の供給を不安定にすると考えられ、2018年の国連の報告書では、すでに異常気象が小麦、米、トウモロコシなどの主要作物の生産を脅かしていると指摘されています。また、穀物はバイオ燃料の原料として需要が高まることで食糧と競合することから、価格の上昇が問題視されています。

農作物の生産過程では、農業機械が燃油などのエネルギーを消費します。さらに、農薬や化学肥料の生産過程でもCO2が排出されます。ビール酵母細胞壁を使った農業資材は、植物自体の免疫力を高めて農薬や化学肥料の使用量を減らすことができるため、温室効果ガス排出削減にも繋がるのです。

2015年のCOP21で締結されたパリ協定の2℃目標(世界の平均気温の上昇を産業革命前の2℃未満に抑える)に向けて、今、世界中が温室効果ガス排出削減のための努力を続けています。アサヒグループは2019年、地球温暖化対策や持続可能な社会への貢献を目指して「環境ビジョン2050」を策定しました。そこには、2050年までに事業活動でのCO2排出ゼロを目指すこと、さらに、「微生物活用技術などのアサヒの強みを生かした環境価値の創出」というビジョンが掲げられています。ビール酵母細胞壁を使った農業資材の開発は、農業生産そのものに対する価値にとどまらず、グローバルな社会課題の解決の糸口でもあり、このビジョンを具現化したものだといえるでしょう。

独自技術を開発、「ビール酵母細胞壁」が農作物の増産に効果

ビール酵母細胞壁を使った農業資材は、どのように誕生したのでしょうか。

開発のきっかけになったのは、飼料を使っていた畜産農家のこんな言葉だったといいます。

「ビール酵母を使ったえさを使うと、家畜が病気になりにくい」

動物に効果があるのなら、植物に対しても、免疫力を高めたり成長を促進させたりする効果が期待できるのではないか。そう考えたのが、開発者であるアサヒバイオサイクル株式会社の北川隆徳氏。「私たちには、ビール酵母細胞壁をまだ十分に活用できていないという思いがありました。そんな中で、農家の方の声をきっかけに思いついたのが、植物の肥料に使えないか、というアイデアだったんです」と開発の出発点を振り返ります。

動物の餌から植物の肥料へ。動物も植物も同じ生物とはいえ、もちろん簡単に応用できるものではありません。開発に携わった研究者などから話を聞く中で、アサヒグループがビール酵母細胞壁を使った農業資材を商品化できた背景には、高度な技術開発力と、研究者の飽くなき探究心があったことが見えてきました。

植物は、土壌の中の水分に溶けた栄養を吸収して育ちます。ところが、ビール酵母細胞壁は、そのままでは水に溶けません。ビール酵母細胞壁の成分を植物が吸収するためには、まず水に溶かす方法を見つけ出す必要がありました。

そこでアサヒグループが開発したのが、高温高圧でビール酵母細胞壁を処理して分解する、独自の技術です。全国の生産者の協力の元、この技術を使ってビール酵母細胞壁を溶かした肥料をイチゴやトマトに与える試験を実施したところ、病気の発生が減少したといいます。さらにイネ、小麦、ジャガイモ、大豆など、ほかの作物の生産者にも肥料を使用してもらった結果、通常より収穫量が約2割増加する事例が確認されました。

イネの成長促進効果 (左)未使用 (右)「ビール酵母細胞壁」を使った農業資材を使用 
イネの成長促進効果 (左)未使用 (右)「ビール酵母細胞壁」を使った農業資材を使用 

なぜ、ビール酵母細胞壁によって病気の発生が抑えられ、収穫量が増加したのでしょうか。

「ビール酵母細胞壁には、植物の病原菌と似た成分が含まれています。この成分に病原性はないのですが、研究の結果、それが根や葉に付くと植物は病気に感染したと“勘違い”し、成長促進因子の合成が活性化されることが分かりました。成長促進因子は根の成長を促し、根張りを良くして根の重量も増加させます。また、同じ理由から免疫に関わる物質の合成も活性化され、免疫力が高まることも分かりました。この二つの効果は、イネやトマトなどの作物を使った実験で実証されています」(北川氏)

このメカニズムは、アサヒグループと京都大学大学院農学研究科応用生命科学専攻との共同研究で解明され、日本農芸化学会2016年度大会で発表されました。また、ビール酵母細胞壁を水に溶かす独自技術は特許を取得しています。

実際にビール酵母細胞壁を使った農業資材を利用して稲作を営む農家の方は、使い始めてからの作物の成長の変化に驚いたといいます。

「これまで使った資材とは、収量が明らかに違いました。今までこの田んぼで収穫できる米は、平均で30袋、多くても36袋くらいでした。ところが、この農業資材を使った年は40袋以上も獲れたんです。さらに、収量が上がっても食味が落ちなかったことにも驚きました。普通は、収量が増えると食味が落ちてしまうのですが、落ちなかった。こんなにありがたい資材はなかなか見つかりませんよ」

農薬や化学肥料の使用量を減らし、CO2排出量削減にも貢献

ビール酵母細胞壁を使った農業資材は、イネなど食糧となる作物では効果が実証されました。次に研究者が目を付けたのは、同じイネ科の芝でした。

ゴルフ場では、年間を通して芝の状態を良好に保つため、大量の農薬や化学肥料を使っています。ビール酵母細胞壁を使った資材を活用し、農薬や化学肥料の使用量を減らすことができれば、大きな環境負荷の低減に繋がると考えられます。そこで、試験的にゴルフ場の芝にビール酵母細胞壁を使った農業資材を与えたところ、わずか一週間で根がしっかり張り、プレーに適した芝になったといいます。さらに、イネと同様、免疫力の向上によって病気になりにくくなったため、農薬の使用量削減にもつながりました。

さまざまな実験や試験によって、ビール酵母細胞壁を使った農業資材が、農作物の生産性や芝の生育状況を向上させることが実証されました。ここでさらに注目しておきたいのは、アサヒグループが、温室効果ガス削減効果のより具体的な検証にも取り組んでいることです。社外の研究機関と共同で、ライフサイクルアセスメント(LCA)の手法を使った環境影響評価を行ったのです。LCAとは、ある商品について資源採取、原料生産から廃棄・リサイクルに至るまで、ライフサイクル全体で環境に与える影響を評価する方法です。

イネについては、農研機構中央農業研究センターと共同で調査を実施。ビール酵母細胞壁ができるビール工場から米の収穫までをライフサイクルとした場合、水稲収穫量当たりのCO2排出量が約29%減少するという計算結果が報告されています。

さらに、国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構、株式会社アコーディア・ゴルフとの共同研究により、ゴルフコースでも試験を実施。LCAの手法で算出した結果、従来の方法で管理した場合と比べ、コース全体のCO2排出量を約47%減少させることができるという結果が出たそうです。ビール酵母細胞壁を使った農業資材が、CO2排出量削減に効果を発揮し、環境負荷を低減させる可能性が客観的データで示されたといえるでしょう。

「ビール酵母細胞壁」を活用した農業資材を、ゴルフ場の芝に散布する様子
「ビール酵母細胞壁」を活用した農業資材を、ゴルフ場の芝に散布する様子

食糧増産と温室効果ガス排出削減へ。小さな「ビール酵母細胞壁」が持つ大きなチカラ

10年以上にわたる農業資材の開発、研究は社会的にも高く評価されています。2016年には、地球温暖化防止や循環型社会の実現などに貢献する技術などを開発した企業、団体に贈られる「地球環境大賞」で、農林水産大臣賞を受賞しています。

農林水産大臣賞の受賞後に「農家の方に感謝の言葉をいただいた時が何より嬉しかった」と語っていた北川氏。この研究が、農業だけでなく、地球環境や国際社会に大きく貢献するものであることに、大きな意義を感じているといいます。

アサヒバイオサイクル株式会社 北川隆徳氏
アサヒバイオサイクル株式会社 北川隆徳氏

アサヒグループホールディングスは、中期経営計画の重点課題の一つに、「持続的な価値創造プロセスを支える『ESG』への取組み深化」を掲げています。ビール酵母細胞壁を使った農業資材の開発は、ビールや飲食品といった「アサヒグループ」の名前からイメージされる事業内容とは、少し異質なようにも感じられますが、この事業は、アサヒグループが掲げる経営ビジョンに非常によく合致したものだといえるでしょう。

近年、日本でも「エシカル消費」という言葉が注目されるようになり、一般の消費者にも、環境や社会に配慮した商品やサービスを選択する動きは確実に広がっています。社会課題の解決に貢献することは、消費者や社会からの評価を高め、企業の価値を高めることに繋がっていきます。

この事業のスタートにあったのは、主力商品の生産過程で出る副産物でした。そこに、研究と技術力で新たな可能性を見出して事業化し、利益を生み、かつ将来的な食糧不足の解消や地球温暖化対策、資源の有効活用に資する社会的価値の高い商品を生み出したアサヒグループ。農家にも収量アップによる収入をもたらすので、創造した価値を社会全体で共有できます。その姿勢は、企業が社会課題の解決にどう貢献するかを考える上で、一つのモデルになるのではないでしょうか。自社の技術や素材から事業を生み出し、事業を通じて社会課題の解決に貢献していくアサヒグループの取り組みが、今後一層社会の評価を受け、発展してくことが期待されます。

関連情報

■ニュースリリース
ビール酵母細胞壁が植物の成長や免疫力を向上させるメカニズムを解明
https://www.asahigroup-holdings.com/news/2016/0418.html

ビール醸造副産物「ビール酵母細胞壁」を用いたゴルフコース管理のライフサイクル評価をグリーンからコース全体にスケールアップして実証
https://www.asahigroup-holdings.com/news/2018/0228.html

■研究レポート
ビールづくりだけじゃない!ビール酵母が地球環境を救う!?
https://rd.asahigroup-holdings.com/research/report/24.html

「ビール酵母細胞壁」がイネの根の成長を促進。ゴルフコース管理の環境負荷低減にも貢献!
https://rd.asahigroup-holdings.com/research/report/38.html

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